↑ 撮影日不詳、F-105D/62-4346。この飛行隊は2023年現在は、KC-135Rを運用する給油機の部隊として、465th ARSの部隊名で活躍している。
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F-105's Page
↑ 1977年11月にエドワーズ空軍基地のオープンハウスで撮影された465th TFS F-105D/62-4372。胴体の国籍マーク横に付けられたBoxはエンジン周りに空気を送り込む為のインテークで、当初生産されたF-105にはなかったが、ベトナム戦争時代、戦闘でアフターバーナーを使う事が多く、エンジンが過熱して発火し墜落につながるケースが多かった為に、エンジンを冷やす目的で追加されたものである。尚 本機は、後にヒル空軍基地の466th TFSに移籍されたが、デンマークへの派遣訓練の際、墜落事故を起こし失われている。
↑ 1975年4月に撮影された465th TFS F-105D/62-4279と62-4328。F-105の部隊の中では、ニュージャジー州空軍の108th TFS(F-105B)とともに航空専門誌等で取り上げられることが少なく、あまり注目されない地味な存在であったように思える。ただ、大戦中の同飛行隊は沖縄戦に参加した部隊で、1946年には読谷にも駐留していたので日本とは縁のある飛行隊なのだ。1946年当時はP-47やブラック・ウィドー等を使用していたようである。
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↑ 1978年5月に撮影された465th TFS F-105D/63-8287。本機は、沖縄に駐留していた18th TFWに配備され、ベトナム戦争時は、355th TFW/354th TFSに所属し、”Miss Margo”と言うニックネームが付けられていたそうだ。最後は、ユタ州ヒル空軍基地の466th TFSで使われ引退した。
465th TFS / 507th TFG
F-105D/F (1972~1980)
オクラホマ州ティンカー空軍基地と言えはE-3の本拠地として有名であるが、ここにもF-105Dが予備役戦闘機部隊として存在していた。465th TFSは、1972年から1980年までの間約8年間F-105Dを使っていたのだが、当初のテールレターは、”UC”だった。F-105D/62-4246
オクラホマ州ティンカー空軍基地をベースとして活動していた予備役のサンダーチーフ戦闘飛行隊である。F-105が配備された予備役部隊としては同隊を含め3個飛行隊があったが、他の二飛行隊はページ1~5で紹介済みであり、最後が本項で写真を展示させていただく第465戦術戦闘機中隊となる。3つの予備役飛行隊の中では最初にF-105D/Fの配備を受けた部隊であるが、1980年にはF-4Dファントムに機種更新しているので、私自身は見た事も撮った事もないが、オランダのオルス氏や渡辺師匠のスライドコレクションからの写真をご覧いただきたい。
↑ 1976年4月ティンカー空軍基地で撮影されたF-105D/59-1729。胴体後部に建国200周年のマークが付けられている。本機手前のシリアル59-1723から59-1728迄の6機は、1機が事故で墜落残り全てベトナムで撃墜されているが、生き残った本機も1978年7月13日にエンジンから火を噴いてティンカー基地付近に墜落して失われた。